徳島文理大学

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徳島文理大学短期大学部

【科目名】    児童文学A

科目番号34527担当教員名上田 穂積単位2単位
科目群専門必修・選択選択開講期前期 対象年次4年
授業概要
(授業目的・方針 等)
「児童文学」とは何か。文学と文化の両側面から議論を進める。この講義では、まず「文学」の領域の問題として限定的に捉えるのではなく、文化との関係から広義に考えていく立場を明らかにする。そのうえで、明治から大正時代までの近代児童文学の流れを講義する。
到達目標
授業計画授業形態授業時間外学習
【1】「児童文学」とは何か(1):「児童文学」という言葉は、誰でも知っている。しかし、何をもって「児童文学」と考えるのかはなかなか難しい問題である。今回は、資料を検討しながら考察する。  
【2】「児童文学」とは何か(2):子どもが「文学」の求めていることとは何か。大人と子どもの関係性の問題から考える。  
【3】明治期の児童文学(1)ー巌谷小波の登場:どの児童文学史関係の本にも、巌谷小波は必ず記載されているが、彼は本当に日本近代児童文学の創始者であったのだろうか。大人の「文学」と子どもの「文学」とのひとつの在り方について考えてみる。  
【4】明治期の児童文学(2)ー〈子ども〉の発見:現在のような認識で必ずしも書かれていなかった子どもの読み物を通して、大人が子どもに期待した人間像とは何か。その価値観について考察する。  
【5】大正期の児童文学(1)ー鈴木三重吉の登場:大正期における児童文学の隆盛は、いわゆる「大正デモクラシー」の問題と無関係ではない。児童文化の発展を願う大人の存在があって初めて成立した問題である。今回は、漱石山脈の一員であった鈴木三重吉の在り方に注目して、たとえば大正教養主義などにふれながら、日本児童文学の成立の問題を考察する。  
【6】大正期の児童文学(2)ー「赤い鳥」の創刊:鈴木三重吉が創刊した「赤い鳥」は、日本児童文学史上の金字塔として言及されることが多い。しかし、その一方で、そこで打ち立てられた〈児童観〉が、幻想としてひとり歩きをして、その後の「児童文学」の在り方を規定・拘束したのは事実である。理想の子どもとしての「文学」という問題について考えてみる。  
【7】大正期の児童文学(3)ー小川未明:「赤い蝋燭と人魚」を読みながら、このテクストの示す可能性と限界について考える。  
【8】大正期の児童文学(4)ー浜田廣介:小川未明・坪田譲治とともに戦前の児童文学界の3大家の一人と呼ばれている浜田廣介の「鬼の涙」を精読する。  
【9】大正期の児童文学(5)ー千葉省三:大正期を代表する書き手のテクストをいくつか読むことで、「赤い鳥」とは異なる〈童話〉の在り方を探る。  
【10】大正期の児童文学(6)ー坪田譲治:坪田譲治ほど不思議な書き手はいないだろう。大人の〈小説〉と子どもの〈童話〉とをほぼ同時に書き続け、また「文学」と「事業」とを両立しようとした彼の姿は、日本の近代文学のなかでも特異である。ここには日本近代文学のある〈歪み〉が集約されているはずだ。今回は、その点を中心にして考察する。  
【11】日本近代文学と日本児童文学(1)ー芥川龍之介:この両者の関係性は微妙である。いうなら、この時期の児童文学は、日本近代文学からの脱落者によって構築されていた側面が拭いがたくあるからだ。今回は、児童文学の担い手とその周縁に位置しているはずの書き手たちとの関係性について考察する。具体的には9篇の児童文学を残している芥川龍之介について考える。  
【12】日本近代文学と日本児童文学(2)ー佐藤春夫と宇野浩二:大正期を代表するふたりの書き手の「児童文学」について考察する。  
【13】日本近代文学と日本児童文学(3)ー志賀直哉と谷崎潤一郎:このふたりの書き手が、〈子ども〉をどのように表現していたのかを見ることで、近代文学における児童観を探る。  
【14】日本近代文学と日本児童文学(4)ー川端康成と野上弥生子:昭和文学をリードしたふたりの書き手が〈子ども〉をどのように考えていたのかを考察する。  
【15】まとめ  
評価方法
出席と期末レポートの内容によって総合的に評価する。
教科書
大藤幹夫編著『展望日本の児童文学』(双文社出版 1800円)を教科書とする。
参考図書
適宜、プリントを配布する。
備考